ストリートとバレエの分離あるいは結節点:MWMW『已己巳己 / Mushrooming』
振付家・ダンサーの高橋萌登が主宰するカンパニーMWMW(モウィモウィ)の『已己巳己 / Mushrooming』。幼少期からクラシックバレエの研鑽を積み、KENTARO!!が主宰する東京ELECTROCK STAIRSでも活動していた高橋が「ストリートの人」と評されることに対し違和感を抱いたことを発端に、ストリートとクラシックバレエ、対照的な2つのスタイルそれぞれに特化した作品を「両A面的ダブルビル」として踊る試みだ。
『已己巳己』はダンサーの個を引き出す振付を心がけてきた高橋が匿名性に焦点を当てた作品だ。白一色のストリートダンサー風衣装に、つばにレースをつけ顔を覆うキャップという共通の出立ちの4名が、徹底的にザ・ストリートな踊りを見せる。基本的に全体を貫く物語はないが、2名が四足動物とそのネクタイをリードのように引っ張る飼い主のように振る舞ったり、壁ドンをして相手を責めるような様子があったり、終盤で倒れ込んだ2人の口へ残りの2名が若干投げやりに水やりするなど、どこか体育会の同調圧力を彷彿とさせる光景も。ソロからユニゾンに至るまで種々の編成が展開された30分間、4名とも安定した重心とキレ、グルーブ感がありリフトや組み技、フロアワークも秀逸で、高橋が事前インタビューで発言していた「やってやろうじゃないか」の気概を感じた。
MWMWは以前Von・noズとの共演(「君が忘れたダンスフェス」アゴラ劇場、2021年9月)を拝見したきりで、当時はコント調の小芝居をはさむなど「洗練」からは距離があるように感じた。しかし『已己巳己』はあれこれ分析や意図の勘ぐりを働かせるまでもなく、シンプルな「かっこいい!」という感想が勝った。技術力のプレゼンテーションとして成功しているとも言える。
続いてクラシックバレエに焦点を当てた『Mushrooming』のあらすじはこうだ。稽古着の高橋が振付作業に思い悩むうちに手元のタブレットで見つけた青いキノコの画像に魅了される。客席エリアへ降り、タブレットに表示されたキノコの行方を客席に向けてマイムで問いながら険しい山≒客席階段をのぼり、(照明の暗転から察するに)何日もかけてキノコ探しの旅に出る。やっと辿り着いた不気味なキノコの里≒舞台、高橋はミニカーに乗り走り回る小さな発光キノコたちのうち一房を口にし、その瞬間雷に打たれ気絶する。すると舞台はいっそう黄泉の国(?)の気配を強め、さっきのキノコたちの化身か。音響経由で流れる宇宙人ライクな声に合わせ奇妙な動きを繰り広げ交信し合う、素足の甲にファーをつけた高橋以外の3名がダンスを展開。やがて一度姿を消した高橋も合流し、彼女らと同様の格好で踊る。
「クラシックバレエ」と明言しつつもむしろ色濃かったのは「モダン」バレエ要素だったが、全員がバレエの基本的な技術力の高さを呈しながら前作と見事に踊り分けていた。強いて言えば「クラシック」ポイントは「主人公が冒険に出てこの世でない場所へ紛れ込み、生息するあの世の者たちと踊る」物語構造だろうか。高橋なりの「バレエ」の定義が少々曖昧に映ったことで、『已己巳己』より潔さに欠けた印象となったのは惜しい。
作品の印象を大きく決定づけたのは、各ダンサー全く違うデザインの衣装含めた毒っ気のあるガーリーでポップな世界観。今はなき〈珍しいキノコ舞踊団〉の伊藤千枝子がパフォーマンス・ビジョン・イネーブラーとしてクレジットされているのを見て納得だ。往年の “キノコファン” であれば明快に感じ取ったであろう伊藤カラーを堪能できた嬉しさもある一方、高橋が自身のダンスの在り方を問うせっかくの機会に果たしてそれがよかったのか?要検証だが、無論、伊藤とMWMWとの相性自体は踊り・ビジュアル面とも好印象だったので、ぜひ別の機会に同じタグを観てみたい。
真っ白で匿名性の高い『已己巳己』個が前面に押し出されたポップな『Mushrooming』どちらにも共通して登場する、同じ照明のもと無音の中4名で取り組む踊りがある。それは多様なジャンルのダンスを経験してきた4名の結節点とも、ジャンル分けから解放された「コンテンポラリーダンスカンパニー」MWMWの凛としたゼロ地点ともとれた。さて、ここからどこへ向かうか。