目の前に下に富士山とダンス

いま、わたしは富士山の目の前に住んでいる。同時に、富士山のうえに住んでるらしい。

いわゆる南岳地域へ初夏に引っ越して三年。最初は富士山ってこんなに近くていいの?と思うほど巨大で近すぎる茶褐色の富士山と、その麓に飄々と密集している住宅や工場、風力発電所などの人間社会が共存する光景に、畏怖と戸惑いが混じった感情を覚えた。

やがて数ヶ月もすると、それまで「ほんのり青白く山頂に雪が積もるほぼ三角形」くらいのイメージしかなかった世界的な “日本の象徴” は、季節ごと一刻ごとに山肌の陰影や色合いを、光や雲によって豊かに変えていくことがわかった。今では当日の雲の動き方や山頂への引っかかり方を見て翌日の天気を予測できるほどに解像度が上がった。どうりで地元の人たちは「毎日違う」と日々写真に撮ってはSNSに投稿し続けるわけだ。

そんな富士山の裾野はどこまでか?地質学的な定義が諸説あるなかで、私のアパートが建つ地はまぎれもなく富士山の地表(本体)だそう。しかし地表と火山灰等の堆積物の境界線を流れる近所の小川は、何千年も前の富士山に降った雪が地下を経由して湧き出たものであるし、そこから駿河湾に流れ出る水も富士山の一部である。となれば、富士山は「山」以上の実体を持ち、多くの人々がそのうえに日々暮らしている・・・

 

閑話休題、コンテンポラリーダンス。

劇場での鑑賞機会がなくとも、あるいは振付家やダンサーを具体的に知らずとも、この言葉を聞けば「あのグネグネする、なんでもアリな踊り」「わからない、ニガテ」くらいのイメージを持つ人は少なくないのではなかろうか?このような発言は実際、芸術に疎いと自称する知人らに私がたびたび言われてきたものである。ダンスに限らず先鋭的で型式に頼らない表現が難しく感じられるのも無理はない。とはいえ多かれ少なかれこの語が表層的には「浮世離れした近寄りがたいもの」として彼ら彼女らに映っていることに、毎度心の奥で静かな絶望を覚えては何度も抗いたくなるのだ。

昨年、大小のダンス作品を八日間で十作拝見する機会があったのだが、その後しばらくは「目の前のものをダンスとして見る病」を発症していた。信号機の点滅と警報音のシンクロとズレ、スーパーでレジ打ちをする女性の所作、ニュースに映る国際情勢、友人との会話のテンポ感、人間関係の悩み、風に揺れる植物・・・なんでもダンス作品の源泉に思えるようになってしまった。そして舞台で見たあのダンス作品たちも、今を生きるダンサーらの身体と精神が味わっているさまざまな日常の延長線上に掛け合わさり巻き起こったものなのだ、と実感が高まった。

AIが「答え」を「わかりやすく」見つけてくれるような時代でも「わかる / わからない」は人間につきまとう命題で、人生は常に未知に対するキャパシティとの闘いだ。それでも「わからなさ」へじっくり目を凝らし、その周縁に存在するものごと — 物理現象でも、社会的な関係性や事象でも、非言語の情緒的な体感でもいい — と接続させながら過ごしていると、我々が生きる現在地に対する解像度が高まりはじめる。

社会や自身の感覚に対して解像度を高める手段は机上の学びに留まらない。芸術、コンテンポラリーダンスにもそういう力があると信じている。その力をできる限り多くの人に味わってほしくて、私はダンス表現を伝える立場にあり続けたいと願っている。「浮世離れした近寄りがたいもの」も、じっと近づいて姿を見つめ続ければ、先入観を打破して無二の美しい表情や瞬間をたくさん見せてくれる。それは劇場のイタの上でのみ起きる現象ではなく、我々の日常、足元からしっかり地続きで生きている。私たちもダンサーたちと同じ、身体を持った人間なのだから。

いま、わたしたちの目の前にはコンテンポラリーダンスの源泉があふれてる。同時に、コンテンポラリーダンスのうえに、ともに生きてる。

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