黒瀧保士:時をつなぐ、踊る心
by Ayae Takise
Photo © Rinko Tsukamoto
舞台上の世界に魅了された十代
—初めて黒瀧さんの作品を拝見したのは展覧会『Ambiguous Intentions』(*1)の関連企画パフォーマンスとして披露された『静かなる場所』。振付家・ダンサーの敷地理『影が二重になるとき』とのダブルビル形式で、各20分ほどアート作品の展示空間の中で行われました。夏の酷暑、そして2025年ということを忘れてニュートラルになるような感覚と言いますか、クラシカルで品性ある詩的な時間が、敷地さんのパフォーマンスとの良きコントラストも相まって印象に残っています。
そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。
—終演後に黒瀧さんにも直接お話ししましたが、個人的には舟越桂の彫刻を観るときの感覚であったり、場所に例えるならクレマチスの丘、ベルナール・ビュフェ美術館の静謐感と言ったらいいのでしょうか。20世紀初頭のヨーロッパの空気を彷彿とさせるようなレースシャツにしっかりまとめた髪、靴の選定に至るまで、「現代」とは少し趣の異なる美意識が体現されていたと感じました。
でも、クラシカルと形容したり「前時代の懐古主義」と断定的に繋げて捉えてしまうのは何か違うかもしれない、とずっとどこか引っかかっていたんです。だから次回作を前にしっかりお話を聞きたいと思い、この対話に至ります。
『静かなる場所』(2025年)より 写真:竹久直樹
—黒瀧さんは演劇の素地をお持ちで、現在は身体表現の創作活動をされています。演劇を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
最初のきっかけは松田優作さんだったんです。中学2年生の夏休みにテレビで「探偵物語」の再放送を見て、身長も高いしお芝居も素晴らしくて素敵だなあと。テレビで活躍する前は文学座にいたことを知って、じゃあ舞台でやっている演劇を観に行こうと。文学座や青年座、大きなホールから小劇場まで意識的にさまざまな舞台表現を観に行くようになりました。
—多感な時期にまず惹かれたのが松田優作さんだったのは少し意外です。となると、十代の頃は部活動も演劇でしたか?
中学ではバスケ部、高校から演劇部でした。でも高校演劇って一定の作法のようなものがあるので、自分が求めている、情念、身体をもって演じるような演劇とは少し違って退屈に感じてしまいました。当時はうまく言語化できていませんでしたが、とにかくこれじゃないぞと。動きがあるものが好き、ということには気づいていましたが。
—文学座や青年座を観てしまったらもう、基準がグッと高くなってしまわざるを得ないですよね。
十代の頃に観劇していた時も、作品を楽しみに行くというより、自分だったらどうやるだろうか、客席からはどういうふうに見えているのだろう、演じる人間の周りの空間はどうなってるか・・・そんなことばかり考えていました。そこに舞台美術がある意味、照明が当たっていない場所の理由、舞台上の出来事が出演者にどう作用するか、演出家や美術家の思いとか・・・それは今もあまり変わっていなくて、ちょっと変な見方をしているかもしれません。でも私はそこが舞台、演劇の面白さだと思うんです。
—演劇がおこる状況の構造や背景を捉えようとする早熟な十代だったんですね。では、高校卒業後は演劇の道へ?
高校卒業後は新制作座(*2)に入所しました。雑誌『ぴあ』に劇団の求人情報が掲載されていたのを見て、電話をかけるより前に現地に向かって「入りたいです」と熱意を伝えたらその場でオーディションしてくださって。歌ったり発声したり身体を動かして見せた結果、「君だったら」と特別に入所を受け入れてくれました。
日々の稽古を重ねながら、全国各地の小学校や中学校への巡回興行を主にしている劇団だったので、トラックに美術を積み込んで、出演して、バラしてまた別の場所へ向かう。ゼロから多くを学び、今もずっと自分に生き続けている貴重な時間でした。
—そこにはどれくらいいらっしゃった?
1年間は研究生として、半年ほど正規の劇団員として活動していた時、座長の眞山美保さんが逝去されました。当時19歳だった私に、お世話になった先輩が「君はまだ先があるから、ここに残るのもひとつだけど、もっといろんなところで活動のチャンスを得てもいいのでは」と言ってくださって。そこからは幸いにも、小劇場を中心にいろんな劇団やカンパニーの公演に定期的に出演させていただくことになりました。
『静かなる場所』(2025年)より 写真:竹久直樹
演劇、マイム、ダンスで磨いた身体性
—2010年から野田秀樹さんが主宰するNODA・MAPに参加されています。
2008年にバンコク・シアター・ネットワーク(タイ)が来日して東京芸術劇場で『赤鬼』『農業少女』を上演した際、関連ワークショップに「野田さんに会える」と考えて応募したら参加できることになり、そこからです、野田さんとのご縁は。NODA・MAPのメンバーとしては『ザ・キャラクター』(東京芸術劇場、2010年)に出演したのが最初です。
NODA・MAPでは台本読みの時、声が面白かったらアンサンブルからも役の起用があるのですが、ある時野田さんから「黒瀧は本当に声が面白くない、でも身体がすごい」と。野田さんのセリフを声に出したいと思って頑張ってきたのに(笑)でもそう言ってくださった時に腑に落ちたというか、吹っ切れた思いがありました。あの野田さんが自分の身体を面白いと言ってくださるならと、ようやく演劇で身体表現を追求する決意が固まって、マイムを学ぼうと日本マイム研究所の佐々木博康先生のもとへ行きました。あの言葉がなかったら、そもそも今舞台に携わっていない可能性もあったかもしれないです。
—それまでも自分の身体の特性について、ご自身で思うことあったり、野田さん以前にも気づいたことはあったのでしょうか?
クセというか、私は昔から振り覚えが悪いところがあって。小学生の頃に運動会のダンスの出し物があっても、こだわらなくていい動きを一人でずっと繰り返したりして(笑)ひとりだけ覚えが遅かった。それは今も変わってなくて、何かずっと自分の好きな動きや手グセというのは、変わらず根づいてるものなのだろうなと思います。
マイムを始めてから改めて言語化できたのは、重心の置き方や身体の微細な在り方に以前からとても意識的であるということ。小学生の頃から太鼓を持って動くにしても、何も持ってなくて動くにしても、自分の重心がどこに置かれてるか、膝の曲がり方や首の向きはどうかとか、ものすごく意識していた記憶があるんです。
—先ほどおっしゃった演劇の見方にも通じる分析癖と言ったらいいのでしょうか、単純な形の写しだけではないことに生来から意識を持たれているというか。
佐々木先生がよく「70歳になってもわからないことだらけ。ようやく70になって見えたことがある」と仰っていたんですね。そう言う方がいて、私が何かを「分かった」と言ってはいけないと。今も自分の創作にあたるとき、段取り、振付以上の何かを自分で探さなければいけないといつも思うんです。それはなんなのだろうと言われるとわからないし、問い続けなければいけないと思います。続けていく中で変わりながら変わらずにいること、美しさってなんだろう、それが生まれる背景にある文化は、さらにどこから生まれるのだろう、ということとか。
『静かなる場所』(2025年)より 写真:竹久直樹
—その後まもなく勅使川原三郎が主宰するKARASのワークショップに継続的に参加し、メソッドを学びますが、プロフィールに記載された「特別参加」というのが気になります。
勅使川原さんを最初に知ったきっかけは双子の兄、紀代士(*3)の勧めで観た『ダブル・サイレンス―沈黙の分身』(シアターコクーン、2009年)でした。その時は特に気に留めていたわけではないのですが、後になり佐々木先生のもとで勅使川原さんが学んでいた時期があったと知ったこと、そして佐々木先生に私のマイムが「ダンス的」であると評されたことをきっかけに、改めて興味が湧いて。
その頃YCAM(山口情報芸術センター)で18歳以下対象、しかも確か女性限定のKARASのワークショップが開催されるという情報を知ったんですね。私、こういうところがおかしいんですけど(笑)マイムと演劇をやっていることを添えて応募したんです。そしたらYCAMの制作の方が面白がって特別に参加許可をいただき、佐東利穂子さんのもとでワークショップをさせていただくことになりました。
佐東さんもひとり男性がいるから印象に残っていたんでしょうね。その後東京で勅使川原さんと佐東さんが出演された舞台の出待ちをしたら覚えていてくださって、そこから継続的にワークショップを受講するようになりました。勅使川原さんは当時あまり指導をされていなかったので、佐東さんや他のメンバーの方を中心にお世話になりました。
勅使川原三郎に学んだこと
—『静かなる場所』公演後にも何かの流れで勅使川原さんの話題になりましたが、とてもリスペクトを持っていらっしゃることを感じました。
さまざまな師に可愛がっていただいたなかでも、勅使川原さんの存在はすごく大きいです。一回だけ、ワークショップ中に勅使川原さんがお越しになって「ゆっくり歩いて、そこに石があると想像しなさい。その存在の大きさ、そこに在るということを意識して歩きなさい」と仰ったことがありました。在ることの力強さを考えながら歩く。それってすごく難しいことです。勅使川原さんは〈そこ〉に花や木が生えてる様を想像し、なぜ自分がそこに在るかということまで徹底的に考えを至らせて舞台に立っている。そんな勅使川原さんが我々受講者らに問いを一生懸命投げかけてくださってる姿に、そこについていこう、と思いました。
—KARASの拠点であるKARAS APPARATUSの建物壁面には、勅使川原さんの鉛筆ドローイングが展示されていますよね。今年初めて訪れたのですが、公演が始まる前にまずそこで呆然としてしまい作品を購入しました。もう、描く対象が勅使川原さんの中で「みえて」いますよね。それは視覚的な〈見る〉という行為のみならず、先ほど黒瀧さんも仰ったように、在ることを感じて〈観て〉いる。身体を介して形に起こす実践を、ダンスだけでなくドローイングでも実践しているから、舞台でも何かが在る状態というのを、舞台美術がない状況でも鮮烈にあらわにできるのだと私は感じています。
本当にそうなんです。実際に作品集を購入されて伝わっていると思いますが、勅使川原さんが描きおろしたばかりのドローイングを直接手に持たせてもらったことがあるんです。触った時の質感がすごくて、紙と鉛筆の鉛の重量、そして勅使川原さんに見えてるもの、あるいは見えてないものを残す重さ、そこにかけたものを感じて「勅使川原さん、これすごい重いですね」って思わず言ってしまったんです。そしたら少年のようにニコニコされていて(笑)
—物理的な重さじゃないものも感じ取ることができる黒瀧さんの感性に、勅使川原さんは嬉しくなったのでしょうね。
そうであるといいですけどね。勅使川原さんの芸術家としての覚悟、生き方が、私が特に師として仰いでいるところなのだと思います。
ワークショップに参加しつつ、KARASの制作のお仕事をお手伝いするお話も出ていたんです。でもカンパニーの全体ミーティングでそのことについて勅使川原さんが「お前の人生だろ」と仰ったのが引っかかってしまって。その一言から、自分は使命は裏方ではなく自分自身の創作をすることなのだと解釈しました。
—勅使川原さんもドローイングの一件で見抜いたことがあったのではと思います。いつでも人生のターニングポイントには芸術の諸先輩方からの金言が響いて、黒瀧さんの道標となっているのですね。
コンセプトに寄せ過ぎない身体
—黒瀧さんはその後ご自身のアーティストとしての活動も展開されています。創作活動を始めたのはいつからですか?
コロナ禍の2021年、意外と遅いんです。基本的には1年で1-2作品を発表しています。
—となると今年(2025年)は結構ハイペースで作品を発表されていたのでは?
そうですね。今年は兄の紀代士が主催する芸術団体Two Monologuesの企画として『Ambiguous Intentions』展内でパフォーマンスを披露しましたし、SAI DANCE FESTIVAL 2023 COMPETITIONで最優秀賞を受賞したソロ作品『詩のかなたの詩』を韓国・ソウルのSIDance2025とフィンランド・ヘルシンキのWorld Dance on Stage – International Gala 2025で上演しました。2026年もカナダで上演予定があります。
『詩のかなたの詩』(2025年)より photo by Tan-ki Wong
—他にもマカオ、韓国、台湾、ベトナム、アジア圏で上演機会を持っていらっしゃいますが、海外での反応で印象的なことはありますか?
日本のパフォーマーとして異質に捉えられているのもひとつかもしれませんが、変わらないで届く「何か」が伝わった、とお客様の感想をとおして感じました。作品自体を、そして自分がダンスを続けてよいと認めてもらったように感じた瞬間があったと言うか。
—いわゆるコンテンポラリーダンスのフェスティバルやコンペティションでは、アイデアやコンセプトと表現の整合性など、創作のロジックを問われるプレゼンテーションとしてのバランスが評価される傾向もあると感じています。一方で黒瀧さんがフォーカスしている人間の儚さや内省的なヒューマニティに抽象的に言及する作品というのは、どう捉えられるのでしょうか?
紀代士が現代美術の文脈で活動しているので、私もその分野に少し片足を突っ込ませている身ではあるのですが、そのうえで一個人としては、舞台芸術はそこに行かなくてもいいだろう、と思うんですね。「コンセプトが何であるか」「だから動きがこうだ」とか。今、世界的に見てもそんな流れになってるけれど、それがやりたくて私は身体表現を選んでるわけではない気がするんです。その逆でいたい。お客様が観たときに「何かわからないけれど生きてていいんだ」とか、「ものの見え方が違って見えた」とか、大切なものが身近にあると再発見する瞬間があってもいいんじゃないかと。
今、コンテンポラリーダンスがコンセプト性の強さに向かう傾向がありますが、みんながそっちに行ってる分、私は変わらずにここでずっといたい。 “コンセプトに寄せすぎない身体” として変わらずに表現することで伝わるものがあるのでは、と思っています。もしかすると、「コンテンポラリー」であることが飽和する時がやってきたら、私が十何年と積み重ねてきたものが力強くお客様に通じるんじゃないかと思っています。
—私もそこのコントラストがあってもいいと思ってるほうなんです。でも、どうしても審美の土俵に上がるための基準としてコンセプトが問われざるを得ない部分はある。でもそれだけでは苦しくなってしまうんです。いつでも読み解きの臨戦体制になってしまう自分がいる。そういうときに8月に見た『静かなる場所』は本当に肩の力を抜いてくれて、救われた気持ちになりました。
ありがとうございます。でも、私もそうは思いつつも、ステートメントテキストを現代美術の作法に寄せることは戦略として行なっているんです。ここは紀代士とも相談しながら作成しています。私がベースのテキストを書いて、彼が壁打ち役になってくれて軌道修正をしてもらい仕上げていきます。彼は私以上に賢くて勉強家でもありますし、理論的にものを伝えられる、素晴らしい兄だと思います。学ことが多いし、助けてもらってます。(*4)
左から黒瀧紀代士・保士
「舞踊家」と名乗る理由
—黒瀧さんは舞台美術の制作もご自身でされますし、「舞台芸術」という範疇を越えてより広義なアートとして作品がどう届くか、そしてそれが大きな歴史の流れの中でどう在るかを見据える感覚がユニークだと感じています。とはいえ、クラシックバレエのトレーニングもされてはいるのですよね。
マイムと並行してオープンクラスに時折通っていました。小さな頃からバレエに魅了され続け、大人になってレッスンを始めたさまざまな世代の方がいる中で、研鑽を積み重ねる美しさ、探求する美しさの中に秘められたものを感じていました。超絶技巧の踊り手として舞台の上に立つまでの圧倒的な時間。それによって支えられ、際立つ舞台上に立つ人々の華やかさ。そういったものを感じながらレッスンしていましたし、今も日々教えていただいたことを続けています。
—幼少期からクラシックバレエや他ジャンルのダンスの研鑽を積んで・・というルート経て創作活動にあたると、今仰ったように、もちろん身体的な技術や身体そのもののプレゼンスが持つ説得力というのは否が応でも観る方に伝わるし、それゆえ確かに成立するコンセプトやアウトプットというのもあると思います。個人的な話になりますが、私も幼稚園から小2までのたった数年バレエを経験しただけでも、その時培った腕運びはこの歳になっても身体に宿っていて、逃れることはできない。それくらい踊りを長年積み重ねるって、強くて重いことだと思うんです。
とはいえ、黒瀧さんは演劇を素地としながら、ダンスを成人以降に追求し始めたからこそ、いわゆるダンス的なフィジカルの強さを剥いだところで勝負できるものがあると感じています。だから「コンテンポラリーダンス」といううつわの中で保士さんの活動を拝見すると、異質であると感じるのかもしれません。ダンス、あるいは踊り。踊りってなんだと思いますか?
瀧瀬さん、なんなんでしょうね。私もそれをいつも考えてます。私は舞踊家という肩書きを名乗っていて、ダンサーとは言ってないんですね。「ダンス」か「舞踊」か、と言われたら「舞踊」を選びます。
—それはなぜですか?
難しいですけれど・・・「ダンス」という言葉を使った途端にジャンルや形式の話になってしまうような印象があって。なんで私は舞踊家と名乗っているのかというと、(胸を指さして)ここをみて、ここを表現してるからなんです。仕草や所作をはこぶ手と足の中間にあるもの、心が踊らなかったら私は表現していない。心から何かを求める瞬間が初めて踊りになる。だから、音楽に合わせて動くことや形の在り方を追求するダンスは私がするべき表現ではないと考えています。
『月の出』(2025年)より 写真:bozzo
託されたものを生かすために
—心が動くように、心に触れることができるようにするために、大事にしていることはありますか?そういえば『詩のかなたの詩』のステートメントに、「創作者と創作物の対話」に関する記述があったのが気になっています。今日のお話も伺って、やはり〈あいだにあるもの〉に強く惹かれるのかと推測しました。
「中間にあるもの」を私はずっと大切にしています。日本人の美徳としてよく語られる「和を尊ぶ」精神とは、尊ぶゆえ白黒はっきりつけない、その〈あいだ〉をずっと考えているからどちらにもなりうる。たとえば、双方に挟まれた人はもしかしたらものすごく苦しいかもしれない。血が流れたら痛いけれど、かさぶたになって学ぶからこそその人は成長するし、今度は他者の痛みに心をはこぶことができる。ということは、原因と結果の〈あいだ〉こそ私たちを生かすものだと思うのです。
ここ数年、現代アート分野でもエコロジーを謳ったり、社会としてのエコシステムに言及することが多くなりました。しかし「循環」-仏教用語でいうところの、業の世界における輪廻-という言葉を用いると、結局状況は過去と未来で変わらないではないか、という話になってしまうと思うんです。
流転している状況から逸脱させるためには何に気がつかなければいけないのか?この問いから2023年に初演した『詩のかなたの詩』の創作は始まりました。ここでは「4」という数字がキーになっています。たとえば春夏秋冬、人間の老病死苦、幼少期・青年期・壮年期・老年期。そして奇しくも私自身、黒瀧家に4番目に生まれています。そういった巡り巡る何かの結果、変わらないものもあるし、変わるものもある。
『詩のかなたの詩』(2025年)より
「循環」という言葉を使わずに何を表現できるかを考えた際、振り子のように往復する関係性「往還」を描こうと思いました。これが今度の新作(*2025年12月初旬現在)『電気の敵』のテーマです。一見、波のように永続的な営みに見えるものの中にも、常に行き来する道程に循環の在り様では気づけなかったものがあるかもしれない。その過程で一瞬止まった時に見える違う人生、限りなく小さな振れ幅になった時に見えてくる圧倒的な時間に、私はすごく興味を持っています。往還こそ、自分自身が目指している表現のひとつで、それが〈あいだ〉に通じるものなのではないかなと思います。
—時間とそこに発生する経験は決して一方向のリニアなものではなく、等しくアクセスしうる対象である — この「時間」に対する解釈に、一番最初に私が申し上げた、黒瀧さんの表現を単にクラシカルと形容したり「前時代の懐古主義」と断定的に繋げて捉えることへの違和感の解がある気がします。
私は寺山修司の映画作品『さらば箱舟』の中にあるセリフ「百年経ったら帰っておいで、百年経てばその意味わかる」がすごく好きなんです。これこそ往還ですよね。百年にも満たない人間の有限の生の意味を問うた時、意味がないと言われたらそれまでですが、意味のない生なんて絶対にない。だから突き動かされている。この言葉は寺山修司が私たちに遺してくれた過去からの手紙だと思っています。
常に過去からやってくる美しい物事を私は引き継がなければいけない、そう感じています。これは「現代の視点に立って過去を求める」という意味ではなくて、普遍的な美しさ、人間の姿とはなんなのだろうと問うこと。普遍的な人間の美しさ、醜さや過ち、その“かたち”らしさ。人間以外にも、たとえばある土地の建物や光、そういったものを変わらずにそのまま舞台表現としてどのように提示できるのか? それは私がいつも創作の際に大切にしていることです。
『静かなる場所』(2025年)より 写真:竹久直樹
—黒瀧さんにとって「過去」は現在から後ろを振り返って見つめる対象ではなく、未来に向かうために今現在と等しく並ぶ原動力であって、過去と現在の振り幅の中に未来への道筋を見定めるようであると感じています。
最近、ふとした瞬間に涙が溢れ出しそうになることが多々あります。それは弱さというよりも、圧倒的に与えられているものがあると感じるからかもしれません。
私は古いものに憧れているんじゃなくて、託されてしまったと思っています。植えてもらった種をどう生かしていくか、それは「古い/新しい」という二項対立の問題ではないと信じてます。その信念に対して表現でどのような説得力を持つか、これからも鍛錬を積み重ねていかなければと感じています。
*1:『Ambiguous Intentions』:2025年7月5日(土)~8月31日(日)にSculpture Center(東京都荒川区)、Sequence,Environment,Neutral.(東京都墨田区)le gallery(東京都世田谷区)の3会場で開催された展覧会。黒瀧の双子の兄であるキュレーター黒瀧紀代士が主宰するTwo Monologue企画・制作。
*2:新制作座:1950年眞山美保により創設。東京都八王子市を拠点に活動。主な作品に演劇・朗読劇「泥かぶら」。学校における演劇鑑賞活動も積極的に行う。
*3:黒瀧紀代士:アーティスト、インディペンデントキュレーター、ディレクター。新宿・歌舞伎町アートスペース「デカメロン」にて、キュレーター兼ディレクターを2020〜24年まで務めた。
*4:保士もデカメロンの運営を担当していた。黒瀧兄弟の協働については二人が出演したMEET YOUR ART YouTube動画でも様子を伺うことができる。
Photo © Rinko Tsukamoto
黒瀧保士 / Yasushi Kurotaki
2010年、日本マイム研究所の所長佐々木博康氏にマイムを師事。並行してクラシカルバレエを学ぶ。2011年、山口情報芸術センターにて開催された勅使川原三郎が主宰するKARASのソリスト、佐東利穂子講師によるワークショップへの特別参加を機に、2019年まで継続的にワークショップへ参加。勅使川原三郎のダンスメソッドを学ぶ。
SAI DANCE FESTIVAL 2023 COMPETITIONで上演したソロのダンス作品『詩のかなたの詩』が最優秀作品賞を受賞。以後、国内外にて舞踊活動を行う。
・2025年6月 布施砂丘彦主催公演 『美しき新宿花園の娘』にダンサーとして出演@王城ビル
・2025年5月 SAI DANCE FESTIVAL2025 COMPETITIONにて、ソロダンス作品『月の出』を初演@両国シアターX
・2024年12月 香港にて開催されたダンスフェスティバルH.D.X International Festival Limitedにソロダンス作品『詩のかなたの詩』が招聘。
Instagram @yasushikurotaki4
黒瀧保士第2回公演『電気の敵』公演概要
公演ページ(Peatix):https://denki-no-teki.peatix.com/
【日程】
2025年12月19日(金) 19:00~
20日(土) 19:00~
21日(日) 17:00~
上演時間:約40分
※各回30分前開場(当日券・受付開始は開演の30分前
【会場】
KVS (〒130-0022 東京都墨田区江東橋5-10-5)
原作|稲垣足穂
構成・美術・選曲・照明・衣装・出演|黒瀧保士 Yasushi Kurotaki
音楽・編集・美術|箱崎健志 Takeyuki Hakozaki
回路設計|高見澤峻介 Shunsuke Takamizawa
インストーラー|アイザック レオン Leon Isaac
メインビジュアル|金子國義「ポールとヴィルジニー 」制作年 1982年
記録写真| 塚本倫子 Rinko Tsukamoto
広報ディレクション|Two Monologue
広報物デザイン|永井祐介 Yusuke Nagai
主催|黒瀧保士
協力|金子國義事務所 金子修、安川大典、GYOSHA、株式会社アートコア、Two Monologue
助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[東京芸術文化創造発信助成]

